Coucou ! ほたです。
もはやインフラになったと言えるAI。皆さんは普段どれくらい使いますか?今や言語学習のお供だという方も多いのではないでしょうか。私も日々お世話になっています。
しかしAIを頻繁に使うようになってから恐ろしい変化があり、今かなりの衝撃を受けています。今回はその教訓から、AIの怖い話をお伝えします。
先日、6回目の映像翻訳のプロ試験を受けました。
映像翻訳って何?という方はこちらに詳しく書いています。

普通なら、翻訳課題に必死で取り組むたびに少しずつ力がつき、多少はできるようになりますよね。しかし何故か回を追うごとに、翻訳力が低下しているんです。
これは私が1年も試験に合格できなくて自信をなくしているという話ではなく(それもあるけど)、産みの苦しみが増し、自分では何一つまともな言葉が出ないと、はっきり感じるようになったという話です。
翻訳ができなくなる?
翻訳学校を卒業してから毎週提出の課題がなくなり、純粋に日々の勉強が足りていないのは間違いありません。
でも何かそれだけではない明らかな違和感があり、原因を考え思いついたのがAI使用の弊害でした。
AIとの付き合いについて、学校で勉強していた頃から少し振り返ってみます。
クラスが上がるにつれ、課題の量も難易度もあがり、フルタイム会社員で英語力も足りない私には、こなすのがキツくなってきました。
そこでAIを使うようになります。
ちなみに学校でも使用自体は禁止されておらず、AIを上手く使いこなすための授業さえありました。(もちろん原文すべてを機械翻訳に流してしまうようなことは、実務になった場合にも情報流出的な意味で完全にアウトです)
最初はあまりに分からない部分だけ、英文の意図を解説してもらいました。
そのうち、部分的よりその前後の文も塊で聞いた方がより文脈に合った訳が返ってくると気がつき、少し聞く量が増えました。
自分で思いつかない、なかなか気の利いたワードが出たりするので感動しました。
いつしか自分が訳した文も、これで解釈は合っているか、違う言い回しにするべきかと相談するようになります。
あるいは、映像翻訳は字数制限というものがあるので文をどうしても短縮できない時に「◯文字で短くして」という使い方もよくしました。
それを繰り返すうちに、だんだんと恐ろしいことが起こります。
最初から丸投げこそしないものの、少し意味が掴めなければ熟考するより先にAIに聞いてしまう、自分が訳したものさえ度々AIに確認しなければ、解釈や言葉選びに自信が持てなくなってきたのです。
思い返せば…
最近は少し、翻訳よりもポストエディット※をしている感覚になっていました。
ポストエディット(Post-Editing)とは、一般的には機械翻訳によって出力された訳文を翻訳者がクライアント(翻訳発注者)の希望に沿っているか確認、修正する作業を指します(引用元:翻訳専門校フェロー・アカデミー)
そうなると本当に驚くほど言葉が不自由になって、おそらく学校で本科に上がる前よりもよほど、自分自身の翻訳力は失われたと感じています。
もちろんAIの解釈が間違えていたり要約も不自然な場合がかなりあるので、言われるままはあり得ませんし、徹底的な情報の裏取り、調べ物は怠りません。映像翻訳の訳し方に合わせる「技術」は維持できています。
しかし、この1年で得たのは「編集力」であって、私自身の「翻訳力」ではないと気づいてしまったのです。
悩む時間が減り効率は上がったはずなのに、自分の持てる力で訳せない(こわくて訳す自信がない)から、いちいちAIと何往復もやり取りをして、背景知識やプロンプトを打ち込み、何度も確認して、作業時間も長くなってきているのです。
どれだけ課題が大変でもそのために有給休暇を取ったりしない、と学校に入学した時からのポリシーを今回の試験で初めて破り、半日休暇も取りました。
それでも提出は締切の朝ギリギリだったし、推敲を重ねられたわけでもありません。
むしろ、AIに聞いていない、自分で訳した部分は不安でたまらないのです。
私はわりと自分でAIを上手く使っていると思っていたから、こんな風になるとは考えませんでした。しかも試験がなければ、この依存にさえ気づかなかったでしょう。
本当に、怖すぎませんか?
指南書にも書いてある
実際にプロの先生方も口を揃えて、機械翻訳は悪影響になると言っているのです。この事象に悩み始めて、一昨年読んだ内容を急に思い出しました。一部引用します。
翻訳者にとって一番大事な文章についての「勘」は、人工的な「文章もどき」とほんの何日か格闘しただけで狂いはじめ、やがて「母語が壊れ」ます。(高橋さきの先生)
機械翻訳の出力文を読みつづけると翻訳者の基盤である言語感覚そのものが狂います。(井口耕二先生)
機械翻訳のおかしな文章の影響を受けて、日本語がおかしくなっている人は見たことがあります。(深井裕美子先生)
機械翻訳の出力ばっかり眺めていたら、自分の言語脳が間違いなくおかしくなります。(高橋聡先生)
脱線ですが、この本は本気で翻訳者を目指す人、翻訳に悩む人が読むのに最高におすすめしたい本です。プロの先生方によるかなり具体的なアドバイスや質疑応答、対談が書かれています。
さて、先生方も言うように機械(AI)の文章に触れ続けるのは翻訳者に悪影響があるということが、図らずも体現する形になってしまいました…。
映像翻訳者は職人みたいなものだから、やっぱり「自分の手に」職をつけないといけないんですよ。AIはいつでも使えるわけではないけど、自分の中にあるものはいつでも自由自在に取り出し使い放題です。
スキル習得には時間がかかっても、獲得したものは自分だけの資産で、みんなが自由にAIを使える時代だからこそスキルを磨かないといけないし、そのプロフェッショナリズムに胸を打たれて翻訳家を志したのに。
これは翻訳に限った話じゃなく、私が会社で苦しんでいる通訳も同じだと思います。かなり前からポケトークなどAI翻訳機があるとは言え、結局リアルの会議では使いません。
AI使用は今後一切しないとはさすがに言えませんが、自らの可能性を殺すような使い方は考えないといけないなと強く思いました。
本当に、自分で恥ずかしいし情けないです。
同志の皆さん、「習得」にはやはり楽な道はないようです。この1年知らぬ間にAIに依存し、時間とお金をかけ成長の機会を殺していた自分への戒めですが(笑)
皆さんがAIを使う時も、この記事のことをどこかで思い出してもらえたら嬉しいです。
私もかなりいい勉強にはなりました。つまり、試験にはまだまだ合格できそうにありません。謙虚に、またゼロからスタートの気持ちでやるしかないですね。
A bientôt !


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